2011年10月14日金曜日

台湾

先日家族で台湾に行ってきた,その時のエピソード.

台湾に到着して早々,ランディスという名のホテルにチェックインした.部屋に入ると,なにやら下水の様な臭いがしている.こんなものかな,とも思って何も言わずにおいたのだったが,間もなくフロントから,「部屋まで荷物を運んだボーイから,部屋でおかしな臭いがする,と報告があった.ついてはすぐにルームチェンジさせてください」と電話がかかってきた.

気が利くホテルだなあ,とこの時は思っただけだった.

夜になり友人と落ち合った.台湾では驚くほど英語が通じない.タクシーではなおさらだし,一般に言われているほど日本語も通じない.ところが,空港からホテルまでどうやって行こうかと思案していた友人は,なぜか現地で知り合ったばかりの人の車で,「ついでだから」とホテルに送ってもらったのだ,と言った.

事情はよく分からなかったのだが,この友人は人懐こい性質なので,人柄ゆえか,台湾でも優しくされたのだな,と自分を納得させた.

翌日,問屋街へ土産物を探しに行った.年老いた母はどこでも傍若無人に振る舞う.漢方薬の店を見つけた母はショーケースを片端から指さして,私に何やら説明しようとするのだが,彼女の言う事は息子の私でも理解しがたい.そこへ若い女性二人連れがやってきて,日本語で母に「何をお探しでスカ」と話しかけ,店の人に「この人はこんな薬を探しているのだ」と必死で通訳を始めたのだった.もとより本気でない母が「大腸癌に効く薬はどれ?」などと言い始め,うんざりした私が二人を笑顔で引き離すことになった.

ここへきて,どうやら台湾の人はものすごく親切なのだ,という事が私にも分かってきた.そして,以前私の大学の研究室に数か月だけ留学していた台湾人の蘇先生の事を思い出した.

私より一つか二つ年上の女性(しかも美人)である蘇先生は,同じく研究室に入ったばかりの私に親近感をもったのか,こちらの拙い英語にもいやな顔一つせず,時々おしゃべりをしてくれた.
ちょうどその頃私の父は大学の病院に入院しており,母は電車を1時間以上乗り次いで遠路はるばる毎日病室を見舞っていた.その話を私が蘇先生にしたところ,彼女は「自分もお見舞いに行く」と言い張り,わざわざ病室に足を運んでくれたばかりか,父には病人でも食べやすいようにと芝麻粉(お粥のようなもの)や牛肉のふりかけを,母には栄養をつけるようにとカラスミ(!)を持ってきてくれたのだった(結局このカラスミは私がお酒のつまみに食べてしまったのだが).



台湾からの驚くほどの義捐金も,「親日的」などという政治的な言葉でくくりたくない,と言ったら,センチメンタルにすぎるだろうか.4日間旅してみて,台湾の人たちはそもそも親切で,隣国の日本人が困っているのをほっておけないのだ,と捉える方がむしろ本質をついている様な気がした.


帰りの空港で,歩き疲れた母に車椅子を借りたのだが,空港の職員と思しき青年は当然の様に車いすを押し,笑顔で端っこのゲートまで連れて行ってくれた.もとより台湾ではチップを渡す習慣は無いが,この青年にチップでお礼をするのは却って台湾の人たちの親切を汚す行為であるように思われて,せめて立ちあがって「謝々」と深く頭を下げ,台湾を後にした.

2010年1月16日土曜日

おにぎり

 昨日ニュースで読んだ記事に,重度のアトピーの乳児を両親が「手かざし」で治療していたが結局改善せず,そのまま乳児が敗血症で死亡した,というお話があった.両親は新興宗教の熱心な信者で,「手かざし」で除霊をすることで子供のアトピーを治そうと思っていたが,子供が死んでしまってとても後悔している,と書かれていた.


 小学生の頃私も随分ひどいアトピーで,両親に連れられては色々な医者にかかった.それでも中々良くならない私のアトピーに煮詰まった両親は,知り合いからの紹介で新興宗教まがいのところにも何度か私を連れて行った.
 小学校高学年の多感な時期には,私は中野の或るクリニックに通った.
 その病院で最初に指示されたのは,アトピーの原因になる物質を見つけるため,数カ月の間は可能性のある食べ物を口にしないように,という事だった.結果として私は1カ月ばかりの間,おにぎりとソーダ水しか口にできない,という生活を送ることになった.家族で囲む食卓でも私だけはおにぎりを食べた.学校の給食も食べられないので,毎日母親がつくったおにぎりを持っていった.

 いまになって振り返ってみると,その病院でやっていた事は一般的な皮膚科の治療から外れているし,栄養バランスの観点からは危険を伴うものですらあっただろう.患者にかかる精神的ストレスも相当のものだ.

 そんなこんなを思い出して,手かざしで子供を死なせてしまった両親のお話を読んだ.傍から見ればどの話も無知で腹立たしいだけかもしれないが,自分の身に照らし合わせてなんだか悲しい気持ちになった.


 幸い私のアトピーは,年をとるにつれて少しずつ良くなり,その後すくすくと成長し34歳になった私は,今ダイエットのために毎日お昼をおにぎりで済ませる.今でもほんの時々,おにぎりを口に入れた瞬間に,その変わらぬ味が小学生時代それしか食べられなかった頃の事を不意に思い出させて,切ない様な懐かしいような気持にさせる.

2009年12月11日金曜日

Missa Pange Lingua


 この季節になると,宗教音楽をよく聴くようになる.
 
 大学生の頃,中世からルネサンス期のヨーロッパの音楽しか扱わない,という変わった合唱サークルに所属していた.
 大学に入ってから,せっかくだから何かサークルに入ろう,と人並みに考えた私は,もともと音楽が好きだったので音楽関係のサークルがいい,しかし大して楽器を弾けるわけでもないし,合唱サークルならいいのでは,と短絡的に考え,当時あった合唱サークルを色々見て回ることにした.ルネサンス時代の音楽など聞いたこともなかったし興味も持っていなかったが,その他のサークル(合唱サークルだけで7つくらいはあったと思うが)が全て肌に合わなくて,結局最後に残った,その聴いた事もない音楽を扱うサークルに入ったのだった.

 今自分たちが耳にする音楽は,その殆どが17世紀後半以降に作られたものだ.それ以前,我々が「音楽」として認識している最も古いものはグレゴリオ聖歌ではないか,と思うが,これが9-10世紀に作られた,という事を考えると,その後700年くらいの間,音楽の進化はとてもゆっくり進み,恐らくJ.S. バッハの登場以降,200年くらいの間で,めざましい音楽の多様化が起きたように思える.
 しかしその700年の間に作られた音楽を,好んで演奏し,また聴く人々がいる.サークルに入って初めて触れたそれらの音楽は,ある意味新鮮で,しかも自分の肌にとても合った.例えば1400年代,などというと,東ローマ帝国滅亡,とかいう時代だから,そんな遠い昔の暮らしを思い浮かべながらその頃の音楽を聴く,というのも楽しくて,ずいぶん色々なCDを買った.

 このCDは,おそらく中世~ルネサンス時代の作曲家の中でも,まだ知名度が高いであろうジョスカン・デ・プレ(1440?-1521),という作曲家のミサ曲の演奏で,私が最初の頃に買ったCDの一つだ.

 ちなみにこの頃買ったCDは,今は廃盤になってしまったのか,Amazonで5000円を超える高値が付いているものが少なくない.まさか妻に聴かせても,「即売れ」,とは言われないと思うが,さすがにこの風変りな趣味の音楽を理解してもらえると思えなくて,殆ど家ではかけたことがない.

2009年11月6日金曜日

オッド・トーマスの霊感





 子供の頃からホラー小説が好きで,よく読んでいた.

 10代のころは,スティーブン・キングとディーン・R・クーンツという二人がホラーの巨匠と並び称されていて,この二人の小説はあらかた読んでいたように思う.全篇が陰鬱で恐怖に満ち溢れ,時としてそのまま絶望的な結末に至るキングに対し,愛とか友情とか,「善なるもの」に対する信頼にあふれていて,大抵は幸せなエンディングを迎えるクーンツの方を元々は好んていたが,少なくとも最近読む限り,キングがどんどん人生の本質に近づいた作品を書いている気がして自分の中でも評価が高いのは,キングが成長したからか,それとも自分が成長したからだろうか.

 実際キングはその後数々のヒット作品で知名度を上げていったのに対し,クーンツは幾つかの不幸な出版事情などが重なったせいもあって,日本では殆ど名の知られない作家になってしまった.

 先週本屋でこの新刊を見て,今もクーンツが作品を書き続けている事を知った.クーンツも既に60歳,この久しぶりの新作では,彼が還暦を迎えるまでに恐らくつかんだのだろう(しばしば苦い)人生の本質的な成分と,その40年にわたる作家生活の間じゅう保ち続けた「善なるもの」への信頼とが,稀有な結合をして,クーンツにとっての最高傑作に仕上がっている.

 読み始めには,この安っぽい題名と,一人称で始まるどことなく軽薄な文章とが,これまた稀有な結合をしていて(ちなみに原題はOdd Thomas,少なくとも安っぽくはない),つまらない本を買ってしまったかと心配したのだったが,気がつくと周りの出来事が目に入らないくらいストーリーに集中してしまっていて,そんな感覚はキングの作品を読んでいても最近感じることのないものだった.そして物語が後半にさしかかるにつれ,この軽薄さすら作者の計算だった,という事に気づくことになる.
  
 本国アメリカでの人気もさることながら,クーンツ自身この作品で何かをつかんだ様子で,シリーズとして5-6作品が発表される予定だという.

 60歳になってクーンツの人生の第二の波がやってくるとすれば,クーンツの様に「善なるもの」を信頼し続ける人生も,いつか報われることがあるのでは,という気が確かにしてくる.

 

2009年10月30日金曜日

Frigo Est


 先月ベルギーに行った.行ってみて認識した事は,いわゆるベルギー料理,と日本で呼ばれているものは基本的に庶民の料理で,ベルギーでも畏まったレストランで食べるのはフランス料理である,という事だ.
 勿論旅行中は,その所謂ベルギー料理,ばかり食べていたわけだが,味付けは高級フランス料理より単純である分,分かりやすくおいしいものが多かった.ベルギーは美食大国ともいわれるが,こういう普段使いの料理のおいしさが,その背景にあるのかもしれない.

http://www.eurobeer.net/frigo-est/
 水道橋にあるこのお店のシェフは,昔ベルギーのレストランで修業したのだとか.ここでは気取らない,しかしレベルの高いベルギー料理が,豊富なベルギービールと一緒においしく食べられる.

 
 ベルギービールは,一説によれば全部で1500種類.ベルギーの総人口が1000万人程度であることを考えると,その種類は極端と言ってよいくらい多い.ちなみに何故かは定かではないが,ベルギーではワインが作れないのだそうで,そこでベルギーの人々は,ワイン代わりに多種多様に楽しむべく,多種多様のベルギービールを生み出した,と言われている.
 その中には,thirst quencherとして,とりあえずのどの渇きを潤すためのビールもあれば,ワインと同じ14度ものアルコール度数のビールや,デザートの様に甘く楽しむビールもあり,確かに知識さえあれば,ワインよろしくどんな食事とも合わせる事ができそうだ.


 そういえば先日テレビを見ていたら,スコットランドの人が,畏まった席で食事をしながら,スコッチを原液でガブガブ飲んでいた.スコッチのアルコール度数は40度.場所柄,高級で香り高いスコッチなのかもしれないが,これでは日本人とは相当違う味覚になるだろうな,と思った.


2009年10月23日金曜日

The Köln Concert


http://www.youtube.com/watch?v=qMN4U-Alqfc&feature=related
 

 初めてキース・ジャレットの曲を聴いたのは,いつの事だったか.学校の演奏会で誰かがこの曲を弾いていたのだと思うが,私の頭の中では,その時のはっきりした記憶がないまま,場面は中学生か高校生の頃,このCDを買って自宅で聴いているところに飛んでしまう.

 キース・ジャレットは,コンサートを行う街の空気や佇まいにインスピレーションを受けて,即興で曲を演奏するのだという.だから彼のピアノ・ソロのCDは,その殆どがライブ録音で,コンサートが開かれた場所の名前が付けられている.曲名も,その日に弾いた曲が番号順に(あるいはアルファベットを用いて)並んでいる無味乾燥なものだ.しかしそんな風に名付けられた曲は,名前が機械的であるが故に,逆に存在感を増すかの様で,この曲の Köln, pat 2c という名前も,不思議にその硬質で美しい響きによく合うように感じられる.

 いつから聴いているのか分からないくらい,この曲は自分の中で自然な存在になったが,今聴いてもいつも心動かされて,ケルンには行った事がないし,曲が作られたのも30年前になるけれど,いまケルンに行ったらこの曲の何かをその空気に感じられたりするのだろうか,などと思ったりする.


2009年10月16日金曜日

雪沼とその周辺

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一番好きな本の話から.

本屋で平積みになっている本の中から,その時の気分に合わせて,ジャケ買いよろしくカバーと題名だけで未知の作家のものを選んで買ってみる,という衝動的な事を時々する.

 確かいつかのお正月近く,近所の本屋でこの本の表紙を見て,静かな佇まいがその時の気分にしっくりきて,何か別の本と一緒に買った.実際には何カ月も経ってから,気分も無関係に,他に読む本がなくて仕方なしに読み始めたのだったが.

 それ以来,何回も読みなおしていて,おそらく一番好きな本の一つ,少なくとも,「自分はこれが好き」と人に薦めたい一番の本だという気がする.

 雪沼という架空の土地を舞台に住人の暮らしがやわらかい言葉でつづられ,そのあり様は「静謐」という言葉がよく似合うが,あくまで紳士的に描かれる人々の心の微妙な綾が,読み手の胸に確かに響く.

 それぞれの短編の最後の一文は,それまで淡々としているかに思える筆致が急に勢いを増して,しばしば数行をも費やすような長い一文で,力強く読み手に一気に迫る.これは堀江さんが,物語の最後にようやく「日本語」という自分の伝家の宝刀を抜くかの様で,こちらはそれに完全にやられてしまう.
 まあ彼は元々はフランス文学者なのだが.